昨年2022年のゴールデンウィークに、コロナ後初の、念願の海外旅行をしてきました。
イギリス → ベルギー → オランダの3カ国周遊旅です。
2020年の春から新型コロナウイルスが世界的に流行り出して、海外旅行が出来なくなったので、私の旅行歴は2018年のイギリスを最後に止まっていました。
私が海外旅行に踏み切った2022年5月の時点では、まだまだコロナにまつわる色々な手続きが必要で、海外旅行をしている人は少なかったみたいです。それから海外からの入国者を制限していたため、行き帰りの飛行機はスカスカでした。
渡航規制が全て撤廃された今となっては、海外旅行が出来ない世界線なんてもう、信じられないくらいですね…
そんな状況下で海外へと飛び出した、狂った旅行記を書こうと思います。
2022年春、海外旅行情勢
まず当時の状況や、旅行に特別必要だったものを書き出してみます。
航空券の高騰
航空機の便数がかなり減っていたので、航空券の価格がめちゃくちゃ高騰してました。今もまだ円安の影響が酷いけれど、少しは下がったのかな?
狂った乗り継ぎ時間
さらに便数が少ない事で盲点だったのが、乗り継ぎ時間の長さ。少ない本数を無理やり繋げたからか、中継地点となる空港での滞在時間が長くなっている感じがしました。
渡航前にワクチン証明書のチェック
成田空港のチェックインの時点で、ワクチン接種証明書のチェックをされました。というのも、まだ日本以外の国も、様々なコロナの規制があり、渡航先での隔離の可能性もあったからです。
ちなみに私の訪問したベルギーでは、入国の48時間前に個人情報の提出が必要でした。
最初の渡航先のイギリスはもう、既にワクチンの接種回数は関係なく誰でも入国自由になっていたので、成田空港では何か注意されることもなく、すんなりと手続きが完了しました。
渡航目的で、「旅行です」というのにドキドキしました。
帰国にはPCRが必要
日本に入国するにあたって、コロナの陰性証明書、ワクチン接種証明書、My SOSというアプリの3つが必要でした。
陰性証明書は、帰国前72時間以内に現地でPCRを受けて、発行してもらわなければいけません。しかも日本専用のフォーマットの紙で。
私が日本に向けて旅立つ国はオランダだったので、オランダのPCRセンターを予約して、検査と結果記入の2回訪問しました。
帰国後は空港で全員抗原検査
PCRの結果のいかんに関わらず、帰国した人は全員、抗原検査が必須でした。
かかる時間は4時間ほど。しかもそこで陽性が出たら、空港から直で隔離行きです。そんなわけで、最後までハラハラが抜けない旅でした。
当時は1/100の確率で発生してるみたいでした。なんて最悪な宝くじだ。
この制度は少ししてから撤廃されて、めちゃくちゃ羨ましかったです。
自宅待機
3月までは、ヨーロッパ圏からの帰国者は2週間の自宅待機が必要でした。
それがついに、ワクチン接種を3回済ませた人は完全撤廃に。
2021年の年末年始は、待機期間が短くなったり再び長くなったり、政府にものすごく振り回されていた時期だったので、この規制の撤廃は「海外に行くならもう今しかない!」と思った一番の理由でした。
いざ海外へ
5月2日の仕事終わりに、半信半疑のまま成田空港に向かいます。
午後7時の成田空港
うわー、なんだこのお葬式みたいな国際空港は。ゴールデンウイークなのに。まあ中日だけど。
改めて海外旅行がいかにアブノーマルであるかを思い知らされて、ヒヤッとしました。
寂しすぎるフライトボード
こんなスッカスカのフライトボード今まで見たことないけど… よく見たら3本キャンセルだし。
飛ぶ飛行機は4本しかなかったです。ちーん。
ニュースでは、2022年の海外旅行客は2021年の5倍に増えたと言っていました。
それが10から50に増えたか、1000から5000に増えたかで全然違うと思うんだけど。
ついに飛行機に搭乗
コロナ禍で、SNSに海外の人が”the only hallway I miss“(唯一恋しいと思う廊下)と、この写真を載せてたのを思い出しました。
わかるなあその気持ち。
今回はカタール航空を利用しました。カタールはイスラム教国です。
…これは、ジョークなのか。
多分触れちゃいけないような気がします。
夜景を見下ろしつつ、日本への正式な別れにドキドキします。
ひっさびさの機内食
恋しかった機内食の時間がやってきました!
機内食にしょっちゅう蕎麦が出てくるのはなぜなんだろ。しかも他にパンとかご飯とかあるのに。
とりあえず日本人なら蕎麦好きだろって感じ?
ここ数年で私のメンタルは更にボロボロになっていたので、なんと行き帰りの飛行機で一度も映画を見ませんでした。以前はラッキーとか思って4本は見てたのに。
2時間ぶっ通しで脳に情報を詰め込むという行為がもう既に、耐えられなくなっていたのです。
ビジネスクラス
日本発着の飛行機はガラガラで、隣もその隣も空席だったので、行きも帰りも3席分使って横たわって寝ました。
これはもう、実質ビジネスクラスでは???
皆そうやって寝てて、機内はカオスでした。
ふと目が覚めると、窓の外からこの世のものとは思えないものが見えました。
ドーハで乗り継ぎ
乗り継ぎに8時間です。
なんだこれ。こんなに長いトランジットは初めてでした。なのに何も計画していませんでした。そもそも、予約した時は気づきもしてませんでした。
でもまあ、どのみち選択肢も無かったし、着てしまったのだからもう仕方がない…
アラブの人達は皆強めの香水をつけていたから、カタールはいい匂いの国という印象が残りました。
イギリスへ向けて再び搭乗。
再び蕎麦。
ヒースロー空港着
イギリスのヒースロー空港には、午後6時に到着しました。
入国手続きは軽く見積もって1時間。それからロンドンの中心部を突っ切って、そのまま右端の海辺の田舎町へと向かうので、明るいうちに宿泊地に辿り着けるか不安でした。
だからスーツケースを待ちたくなくて、機内持ち込み可の小さなものにしていました。
よく日本のパスポートは最強だと言われていて、一体何が凄いんだろうと思う方もいるかもしれませんが、こんな風に
看板が至る所に設置されていて、国によって列をビュンビュン飛ばせるんですね。
こういう時ばかりは、日本人で良かった…!と思わずにいられません。
結局イギリスの入国手続きは列も何もほとんどなくて、機械でパスポートをスキャンして… はい、それで終わり。一瞬でした。
気づいたら終わってました。
あまりにびっくりして、あの機械通っただけなんだけど他に何もしなくていいの?って、わざわざ係の人に聞いてしまいました。
ワクチン接種の有無すら聞かれませんでした。
4年前に作ったロンドンのパスモ、Oyster cardを機械に差し込んだら使えて感激。
ロンドンの地下鉄
通称Tube。
前に来た時もびっくりしたけど、やっぱりまたびっくりします。この電車のあまりの小ささに。
ロンドンにすら、こんだけしか人がいないのか…!この程度が帰宅ラッシュなのか…!
マスク率は1割程度でした。ここで即、日本と世界との乖離を思い知らされます。
私は怖いから着けたままでいました。
West Ham
ここからc2cという国鉄に乗り換えて、大好きなロックバンドNothing But Theivesのゆかりの地、Southend-on-Seaへ向かいます。
彼らは自分たちの地元をすごく愛しているので、一度でいいからその街を歩いてみたかったんです。
海外は日本より治安面が心配だけど、夏は夜遅くまで明るい所が多いから、これで少しだけプラマイゼロに近づくかな。
でもボーカルのコナーの住んでいた家の最寄り駅、Leigh-on-Seaに辿り着いた時はもう午後9時。薄暗くなっていました。
焦ってて写真撮ってないや。
駅は無人でした。
バスのチケットを買う場所が見つかりませんでした。
小銭が必要かもしれないと思ったけど、両替機が動きませんでした。
どうしよう。
ちょうどやってきたバスに藁にも縋る思いで乗り込んで、運転手にチケットの買い方が分からないと伝えたら、「いいよ!乗っちゃえよ!どこ行きたいん?」と笑顔で言われました。
ああ、ここは海外だ。と実感。
バスに乗って、宿泊地に向かいます。
途中でいきなり、ボーカルがかつて住んでいたアパートの前を通って、呆然としました。
堂々と無賃乗車をして、運転手に”Have a good night!”と言って逃げました。
田舎にはホステルがないし、ホテルは高いです。
だから初めからAirbnbで宿を探していました。
宿泊先は閑静な住宅街の中にありました。
やっと着いた
海の街らしいステンドグラスが素敵!
ここがコロナ後初の海外の滞在場所になります。
ファミリーの家で、その屋根裏部屋でした。
これで、これでやっと一息付ける。
遂にやった。4年ぶりに、日本の外へと飛び出した…!